後 記

日本に帰ってから、すぐに就職をした。
サラリーマンになったわけである。

彼女とも結婚した。

サラリーマン生活も3年が過ぎたころ、
パラグアイへ行かなければならないという思いが強くなってきた。

もう一度村へ行くと約束をしていたことが、いつも心に引っかかっていた。
何度か手紙を出してみたが、どうやら届いていないようだ。
村には郵便局もないから、届けばラッキーなのだが。
あるいは、むこうからの手紙が届かないのか・・・。

チャンスが来た。
パラグアイ隊員の活動視察に隊員の親たちがパラグアイへ行く。
その添乗員を募集していた。
応募した。

そして、職場にお願いして2週間もの休みを取り、再びパラグアイへ行った。
東京までの往復とパラグアイまでの往復を計算すると、パラグアイに滞在できるのは
せいぜい1週間だった。

そして、首都アスンシオンへ。
バス乗り場に行ってみる。

しかし、数日前まで降っていた雨のため、粘土質の赤土はバスの通行を許さなかった。
せっかくここまで来たのに。
村へ行って、家族に会いたいのに。

空港へ行き、草原に着地できるヘリコプターか小型機をチャーターできないか訊いてみた。
無理だ、と、言われた。

村に1本だけ電話があった。
そこへ電話をかけ、家族を呼び出してもらい、わずか10分ほどしゃべった。
そして、日本へ帰った。


さらに、4年が過ぎた。

勤めていた職場は辞めていた。
もう一度、行ってみよう。

そして、また再びパラグアイへ行った。
帰国して8年近く経っていた。

今度は天候に恵まれ、村まで行けた。

家族は驚き、かつ、喜んで迎えてくれた。
たった3日間の滞在だった。
ずーっと家にいた。

家族はまったく変わっていなかった。

村には電気が来ていた。
懐かしい家には夜も明るく灯がともり、夜が更けるまで会話が弾んだ。

しかし、多くの家に灯がともっていなかった。
貧富の差が現れていた。

うれしくもあり、寂しくもあった。

もう一度、行きたいなー。
無理だろうなー。
と、思う今日この頃なのである。




最後まで読んでくれた人、ありがとうございました。







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